昨日の今日

君島大空『袖の汀』

f:id:You1999:20220202023243j:image寄せては返す波のように穏やかな音色とともに世界が立ち上がる。誰かは誰かを愛し、誰かは誰かを赦すことができる。自分のなかに相手を見出し、相手のなかに自分を見つける。間主観のなかで生きる人間というものは相手が存在することによって、その存在が確からしくなるのだろうか。人が繋がり、輪ができる。

「見える輪が」とバーナードが言った、「ぼくの頭のうえ、光のなかでふるえ、吊りさがる輪が見えるよ」

ヴァージニア・ウルフ『波』森山恵 訳 7頁

光暈(halo)は太陽や月に薄い雲がかかった際にその周囲に光の輪が現れる大気光学現象のことであるらしい。この輪のモチーフは『光暈(halo)』に続く楽曲でも針のない文字盤、レコード、針を回して、目、銃口・・・などといった形で現れている。始まりも終わりもなく、端っこもなく、丸い円のようにすべてがつながっている。きっと誰もが輪で繋がり、その循環のなかで生きている。であるから、ひとりではない。昨日別れた誰かとも遠い、遠い先の未来で出会うことができるのかもしれない。まだ会うこともない誰かを愛せるかもしれない。そんな幸福な円環の物語を誰もが信じたい。しかし、ゆったりと心地よく、ゆらりゆらりと波の上で漂い循環するような君島大空の囁くような歌声と音色が示すようなものとは裏腹に、タイトルに冠された“汀”という言葉に示唆されるのは、水と陸地という世界が分断された境界の狭間で、打ちつける波の切実さと激しさと心もとなさである。それはきっと誰かの声なのだ。

波は、岸に砕けて散った。

ヴァージニア・ウルフ『波』森山恵 訳 341頁

水と陸地、その揺動する2つの世界において、ある世界にもう一つの世界が交錯する。寄せては返す波のように、絶え間なく誰かが声を発している。叫んでいる。泣いている。

『光暈(halo)』のビデオでは、君島大空が汀の陸地の側で、誰かの声(波)が届くのを待っているのが映し出されている。円環の中で起こる循環なんていうものはある世界においてのものでしかない。そこだけが世界ではない。知る由もない境界の外側からやってくる声に、ここにいるよ、とギターを爪弾くのだ。この曲ができたとき、君島は7時間くらいずっと同じ浜辺にいたのだという*1

誰かは誰かと手を繋ぎ、ひとりにしない、丸い円環の承認、角のないそんな承認の図式は冷たくもある。ヘーゲルは承認の理解を「互いに承認しあっているものとして互いに承認しあっている」(『精神現象学』§184/110)ということによって説明したのだった*2。この承認とは、事前に、潜在的に、初めから“私”と“あなた”が同じものとして承認しあっているということなのであって、承認関係の輪のなかに入っていることによって、承認が可能になっているということである。つまり、結局のところ、“私”と“あなた”が同じような人間であることにおいてしか承認できないのである、ということなのだ。すなわち、その円環のなかに入り込むことがそもそもできない異なる他者は外側へと弾き出されることになってしまうことになる。けれど、まったくの悪意で排除しているわけではなく、承認しあっている彼らは相手のことを思いやり、目の前にある他者への慈しみを持って承認しているのであって、誰かを外側へと押しやっていることなど何かのきっかけがなければ気づきもしない。

ほら、図形のなかの円が、時間でいっぱいになってきた。輪のなかに世界を包んでいる。わたしが図形を描き始めると、そのなかに世界がまるく収まって、なのにわたしはその輪の外。輪のなかに入ろうとすると–––円がぴたりと閉じて完全になる。世界は完全になったけれど、わたしは輪の外で泣き叫んでいる。「ああ、だれか助けて、わたしは時間の外に、永遠にはじき飛ばされた!」って

ヴァージニア・ウルフ『波』森山恵 訳21-22頁

世界を創造した輪は境界線をひいてしまった。誰かが誰かを愛するという美しい光の輪は、同時に誰かの眼前に線をひき、暗闇の部屋に追いやってしまった。輪の外側から声が聞こえる。『袖の汀』を聴くということは、そのどこかから伝わってくる誰かの声(声にもならない音かもしれない)を聞くということだ。

背伸びしていたよ
気づかないまま生きていたよ
僕ら、過ぎて知るのさ
波音の向こうでまだ動かない影は
子供のように光を曲げる
聴いて
目を閉じたまま
いくら涙溢れても
さらさら声は溶けてしまうけど
僕がきっと何度もここで
ここで君を見つける

『光暈(halo)』

真新しい眠りの中で君の名を呼ぶ
繋がれと叫ぶ

『向こう髪』

誰も誰も知らない場所で
あなただけに届く電波で

『星の降るひと』

どこか遠くで発せられた声は、叫びは、私たちのところに届く頃には、ゆったりとしたさざなみになっているかもしれない。それは十年後かもしれない、百年後かもしれない、二千年後かもしれない。でも、たしかに声を聞いている。届いている。そして、彼らとの和解は“私”と“あなた”という水平な関係によってなされるのではない。星が降ってくるように、高い(もしくは低い)ところから普遍的な何かから垂直的な取り結びによって実現される。『向こう髪』のビデオで砂時計(針のない文字盤)が採用されているのも、上から下に、下から上に、上昇と下降、下降と上昇というイメージを想起させるためで、過去は未来に、未来は過去にという循環を意識したものだろう。

その循環、連続のなかで、季節は変わり、移ろい、過ぎていく。世界はゆっくりとでも拡張していく。そう信じていいだろう。君島大空はadieu(上白石萌歌)に提供した『春の羅針』においても、繰り返す夜の途中で、差し込まれる声に寄り添うことを捧げていた。繰り返しの時間の中で世界は止揚されていくはずだ。◯のなかに直接内包されなくてもいい。◯からじんわりと染み出した、その汀に触れられればいくらかの魂は報われのではないだろうか。そんな祈りを込めて。しかし、それでもきっとたりない。

このテーブルクロスと黄色い染みが共感の輪を広げ、やがては全世界を抱擁できるほどに広がるなど望みようもないから(ベッドが宙に浮きあがる夜に、地球から縁から落下してゆきながらそう夢見るけれど)、わたしは個々の異様さに耐え抜かねばならないのね。

ヴァージニア・ウルフ『波』森山恵 訳255-256頁

どこにも行けそうだけれど、行くこともできない、個々の異様さによって、世界を漂い続ける幽霊となって、誰かを待っている。そんな幽霊の存在を信じることもまた汀の境界の向こう側を信じることだ。もしかしたらそこにはいないのかもしれないのだけれど、声をかけ続ける。だって、いないと決めてしまったら、その存在を本当に消してしまうことになりかねないから。見えないものを信じる力。それは、この世に存在する/していたことを認めてあげる力だ。目に見えるものだけがすべてじゃない。目に見えないこと、本当は存在しているのに見えなくなってしまっていること、存在していないのに見ることできてしまうこと、そんな想像力を働かせることができる、それこそが私たち人間の“POWER”なのだから*3。幽霊は、世界の円環の外側に沿うように漂い続ける。『袖の汀』が描き続けてきた円は銃口という恐ろしくも、美しい形へと接続される。ようやくすべてを終わらせることができる。そして、すべてを始めることができる。

夜明けとは空が白むことだ。一種の再生だ。新たな一日。新たな金曜日。新たな三月二十日、あるいは一月か九月の二十日。あまねく新たに目覚めるのだ。星々は退き、消えていった。水面の筋は波間に身を沈めてゆく。朝靄のうす絹が野にたち籠める。薔薇の花々に、ベッドルームの窓辺に咲く淡い一輪にさえも、赤みがさしていく。一羽の小鳥が囀る。小さな家の人々が暁の蝋燭を灯す。そうだ、これが永遠なら再生だ。絶え間ない上昇と下降、下降と上昇なのだ。

そして、私の内部にも波が盛りあがる。膨れ上がり、弓なりに反り返る。新たな欲望が、何ものかが、私の奥底から、誇らかな馬のように、ふたたび盛りあがるのを感じる。乗り手は拍車をかけ、そしてこんどは手綱をひき絞る。そなた、私がまたがるそなたよ、いま、前に伸びるこの舗道は蹄で掻く我らに、立ち向かってくるあの敵は、何者なのだ?死だ。死が敵なのだ。私は槍を低く構え、若者のごとく、インドで馬を疾駆させたパーシヴァルのごとく、髪をなびかせ、馬を駆る。それは死に向かってなのだ。私はわが馬に拍車をかける。お前に向かって躍りかかる。打ち負かされず、屈せず、おお、〈死〉よ!

ヴァージニア・ウルフ『波』森山恵 訳340-341頁

ある世界から発せられた誰かの叫びをどこか別の世界の誰かが聞く。その声はたった今聴かれなかったとしても、途方もない先にある未来かもしれないけれど、いつか必ず誰かに届く。ずっと昔に発せられた声も、いつか発せられる声も未来の声も聴くことができるのだ。いつだって波のようにその境界を行ったり来たりすればいい。たまにやってきて帰っていけばいい。必ず誰かがそこで待っている。きっと待っているのだから。

ねえ、まだ黙って、待ってる?

銃口

袖の汀

袖の汀

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*1:君島大空による『袖の汀』全曲解説。歌のあり様の変化を自ら語る | CINRA

*2:承認と和解 : ヘーゲル社会哲学の二 つの原理 https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/189816/1/smp_017_001.pdf

*3:羊文学『POWERS』 - 昨日の今日君島大空は羊文学と「見えないものを信じようとする」ことにおいて多くのことで共鳴しているように思う