昨日の今日

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お笑いとテレビと映画と本と音楽と…

小林有吾『アオアシ』

f:id:You1999:20211121200204j:imageドリブルで抜く、縦に、横に、カットイン、裏をとる、シュートを打つ、幅をとる、絞る、詰める、嵌める、外を走る、中を走る、斜めに走る、スペースに走る、上がる、下がる、距離感etc……すべての動きに理由と言語化を求める小林有吾によるサッカー漫画『アオアシ』は、2015年からビッグコミックスピリッツで連載を開始し、単行本は2021年11月現在、26巻まで刊行されているのだけれど、アニメ化が決定された今更になって一気読みし、まんまと魅了されているのです。めちゃ面白い!のだ。“今”のサッカーをやろう!という意気込みがコマの至る所に散りばめられている。

東京シティ・エスペリオンFCユースチーム監督の福田達也の画策によってFWからSBへとコンバートされた主人公・青井葦人がSBの司令塔として花開いていく物語である本作は1人の少年のキャリアを追っていく物語であるのだが、サッカーをいかに言葉にするかをめぐる物語でもある。1巻、弱小チームでゴールを量産するその身体能力に着目するのではなく、類稀なる視野の広さを持つ葦人がフィールドにいるすべての選手の位置を把握し言語化できる才能に本作は眼差しを送る。そして、その視野の広さを中盤でなく、SBにおいて発揮させようとするのであり、現代サッカーにおけるSBの役割がこの5年くらいで大きく変化したことであるからして(昔からSBへ役割は多様であったという意見もあるだろうけれど、ここ数年のSBの盛り上がりは特に顕著であるだろうし、しっかりと言語化されてきたのも最近だろう)、このことだけでもまさに“現代”のサッカーをやろう!という意気込みに溢れた漫画であることの説明にも十分なっているだろう。また、ユースチームを舞台とするのであって、この視野をいかに正しく成長させていくか、それにはボランチではなくSBなのではないか?という育成の目線をも携えている漫画なのであることも美しい。

アシトという男は「自由」を与えてこそ光ると思う。俺はSBとは本当に「自由」だと思うんだ。制約が少なく、敵の少ないエリアからスタートして、上下走るも中に入るも縦横無尽。ある意味、浮いた存在ともいえる。

274話『サイドバックの英雄』

本作にも引用される、ラーム、カンセロ、内田篤人など、浮いた存在としてのSBによる中と外の走りわけ、ポジショニングなどによって攻撃のデザインを組み立てることは重要になってきているし、単純に枚数を増やすことよって厚みをもたらすこともできる。内田篤人のように「まず1番遠くを見て、近くの選手は間接視野で捉える」と言及するなどのゲームメイクをすることも考えながらも、外のレーンを駆け上がる攻撃的な選手もいれば、カンセロのように偽SB的に内側で選択肢を多く持ち攻撃的に活躍する選手、ウォーカーや冨安のように後方での対人守備に特化した選手など要求されることが多様でありながら、選択肢の開かれ方もバラエティに富む実に漫画にしやすいポジションであったことなどは『アオアシ』の発見だろう。

上がるときのCBとの意思疎通、バランスを考えた絞り、ラインを揃える、ポジショニング、パスコースの作り方、仲間へのコーチング、葦人は思考し言語化することで、やがて自らの足を考えることをなしに動かし覚醒していく。本作の興奮ポイントであり白眉であるあの覚醒するシーンは“言葉にできないスペクタクル”なのでなく、むしろ思考し緻密に“すべてのことを言葉にしきった”ことによって起こるのである。考えることで言葉にし、それによって思考が整理され、考えることなくプレーできるのであった。1巻での花のセリフ、そして福田達也の言葉は全編にわたって伝わっていく。

あたしの世界一好きなサッカー選手は、「とにかく考えた」って言ってた。練習でも試合でもサッカーしてない時でもとにかく考えて、考えて考えて考えてーーーー考えて。するとな、「いろんなことが、いずれ考えなくてもできるようになる。そうしたら、ようやくそれが自分のものになる」って。「似てるけど、やっぱり勘とは違う」って。頑張れ。人間とは考える葦である。

第6話『考える葦』

個人戦術の充実は仲間と意思を共有することの助けになるのであるし、仲間と意思を、言葉を共有することはチームの戦術を円滑にしていく。

俺たちは最初わかり合えなかった。でも、わかり合えないところからわかり合えた。なら今、オレは、前に走っていい!全部わかり合える!!

つながってるやん!

256話

アオアシ』は言葉を、そして想いを共有する漫画であるからして、それは葦人と花、杏里との関係性にも引き継がれている。葦人と杏里は共通するサッカーという言語を持ち、互いを理解していく。それを後ろから眺める花という構図は、さながら『ハイスコアガール』においての、ハルオと大野、そして日高という構図に似ているのだけれど、本作では花が日高のように後ろから眺めるだけでなく、たしかに葦人と花、2人だけの想いを共有している。それを言葉にして、いや、言葉にしないままにわかり合える、そんな瞬間が描かれるのを期待しているのだ。