昨日の今日

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お笑いとテレビと映画と本と音楽と…

夏目真悟『Sonny Boy -サニーボーイ-』

f:id:You1999:20211018001953j:image夏目真悟(監督・脚本・原作)、江口寿史(キャラクター原案)、銀杏BOYZ(主題歌)といった座組みへの期待を軽々越えてくる素晴らしさ。疾走、跳躍、何かに手を伸ばしながら落下していく。下への運動は真っ暗闇の世界から空と海の青さが広がる世界へと移り変え(空は上にではなく下にあるのだ)、少年少女が海面へと浮上する上への運動に伴って銀杏BOYZが青春の始まりを宣言する。

今 目と目があった その瞬間から

銀杏BOYZ『少年少女』

『Sonny Boy -サニーボーイ-』は主人公である長良、謎の転校生・希や瑞穂、朝風ら、36人のクラスメイトが異次元へと漂流してしまうことから始まるSF青春群像劇である。漂流という言葉から、楳図かずお漂流教室』やジュール・ヴェルヌ十五少年漂流記』、ウィリアム・ゴールディング『蠅の王』などを思い起こすことは容易であるだろうし、もちろんそれらの作品と同じような、社会のルールを規定していくことやそこから生じる対立なども描かれるわけなのだけれど、本作と最もテーマを共有する作品を挙げるとするのならば、大江健三郎『芽むしり仔撃ち』であるだろうと思う。構造的な面白さではなく少年少女の心の物語だからである。第1話、暗闇に包まれた世界から抜け出すために駆け抜けて飛び立つ希は自由を獲得する(まさにそれだけが望みであるかのような名前が示唆するように)、つまり自分自身で何かを掴み取ろうとするために、走り、飛ぶのである。

やっぱりここだ。はっきりと見える。ここに鳥がいたはずなの。でもここにはもういない。きっと自分の世界に帰ったんだ。[・・・]今いる場所より眩しく見える場所があったら、行ってみたくなるか、それとも置かれた場所でじっと待ち続けるか

自由のモチーフを浮かび上がらせる鳥の羽根がゆらりと頭上から降ってくることもまた示唆的である。理不尽にも異次元へと閉じ込められた少年少女たちがいかにして、自由を獲得するか、その点において『Sonny Boy -サニーボーイ-』と『芽むしり仔撃ち』は共鳴しているのである。

『芽むしり仔撃ち』も大戦末期、山中に集団疎開した感化院の少年たちが、疫病の流行とともに、谷間にかかる唯一の交通路を遮断されてしまうことによって、山村に閉じ込められてしまうことから始まるのである。そこにあって、その閉じ込められた空間内での自由を享受するのか、はたまた外へ飛び出すことによって、本当の自由を手にするのかといったところが、本作の重要なテーマとなって、主人公たちが何を選択するのかと、物語後半まで引っ張られることになる。

戦争が終わるまでのほんの短い間、俺は隠れていればいいんだ」と脱走兵の声は祈りのように熱っぽかった。「国が降伏しさえすれば、俺は自由になる」

「あんたは今だって自由じゃないか。この村の中でなら何をしてもいい、どこに寝ころんでいても誰一人あんたを捕まえない」と僕はいった。「すごく自由だろ?」

「俺も君たちも、まだ自由じゃない」と兵士はいった。「俺たちは閉じ込められている」

「村の外のことを考えるな、黙っていてくれ」と僕は怒りにかられていった。「俺たちはこの村の中で何でもでにるんだ、外のあいつらのことをいうな」

大江健三郎『芽むしり仔撃ち』165頁

そこでおこる大人との対立、資本主義的なことから生じる価値観、疫病、閉鎖的な空間などの同様のフィーリングを脈絡なく並べ携えたいくつもの物語を通り抜けながら、第8話『笑い犬』で、異次元世界に5000年もの間存在するというやまびこの過去エピソードが挿入されると本作の核となるものが浮かび上がってくる。やまびこは“戦争”と名乗る男から君自身の内的世界のために大切な少女は死んでしまったのだと告げられるのである(そして、彼女の大切にしていた鳥も死んでしまった)。

「やまびこ…何でも僕の言うことを聞く?」

「もちろんだ」

「じゃあ、いつか、僕とした約束を果たして。君はここから旅立つんだ。ここは本当の世界じゃない。ねえ、そうしてくれるよね、君ならできるはずだ」

「この世界は君が作った世界だからだよ」

「傷そのものの原因はこの世界の外で起こっている事象にあるんだよ。君たちはそれを解決しないといけなかった」

「じゃあ、どうすれば」

「君自身が変わればいい。自分の殻を破って外に飛び出せば良かったんだ」

自分自身の殻を破ることで、世界を壊し、本当の世界へとたどり着く。ここにはヘルマン・ヘッセデミアン』のフィーリングが漂っている。卵を世界に喩えて説明されていて、『Sonny Boy -サニーボーイ-』の最初の鳥の羽と世界への扉を掴もうと跳躍するイメージがここでまた浮かび上がってくるのである。

「鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。卵は世界だ。生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。鳥は神に向かって飛ぶ。神の名はアプラクサスという」

ヘルマン・ヘッセデミアン』121頁

元の世界へと帰るということには、今ある世界を壊さなければいけない、ということであった。しかし、『Sonny Boy -サニーボーイ-』での元の世界は実際の元の世界とは少し違うのであり、卵の殻から生まれでて、初めて目撃する新しい世界のことであった。ラジダニの言葉に瑞穂が返答する。

「実は、元の世界には簡単に帰ることができるんだ。ただそれには覚悟と犠牲が必要だ」

「だけど、ただ帰るだけじゃないんでしょ?」

それでも、長良と瑞穂は今ある世界を壊し、元の世界(まだ見ぬ新しい世界)へと行くことを決めるのである。それは異次元に飛ばされたここで暮らすことは本当の自由ではないのであるし、たとえ未来に起こることが決定していても自らで選択していくことにこそ、自由たりうるものが存在しているからだった。そして、それは希の思いでもあって、長良は決意を固めるのであった。

「私はただ光を受けていたかった。光を失うことを恐れ、最後まで踏み出せなかった。でもやっと飛び出せた。5000年かかった」

「僕にもできるかな?」

「ああ、やれるさ」

肝要なのは、任意な運命ではなくて、自己の運命を見いだし、それを完全にくじけずに生きぬくことだった。

ヘルマン・ヘッセデミアン』168頁

みんながハテノ島に残るなか、ロケットに乗って異次元へ侵入し、元の世界を目指しそのなかを疾駆する長良と瑞穂の姿は、『芽むしり仔撃ち』の主人公が自由を求めて森へ駆けこむ姿と重なるだろう。もしかしたらその進んでいく先は、「僕は閉じこめられていたどんづまりから、外へ追放されようとしていた。しかし外側でも僕はあいかわらず閉じこめられているだろう。脱出してしまうことは決してできない。内側でも外側でも僕をひねりつぶし締めつけるための硬い指、荒あらしい腕は根気づよく待ちうけているのだ(『芽むしり仔撃ち』221頁)」という甘美な疾走を見せながらも厳しいものを予感させるのかもしれない。しかし、

「人生はまだこれからだ。先はもう少しだけ長い」

と道を歩んでいく長良の正面のショットで幕を閉じる『Sonny Boy -サニーボーイ-』は、たった今、この瞬間だけは、と銀杏BOYZ『少年少女』を鳴らして、その背中を力強く押すのである。

2000光年の列車で 悲しみを越えたなら
少年は少女に出会う
きれいなひとりぼっちたち 善と悪ぜんぶ持って
少年は少女に出会う
歪むディストーションが鳴って 空はもう遠くなって
少年は少女に出会う
DON’T SAY GOODBYE


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